魏書 荀彧伝 10(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪
橘花美郁について
ファン歴は30年ほど
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆
ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1
https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html
(旧サイトです)
三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう
魏書 荀彧荀攸賈詡列伝 続き
203年、荀彧万歳亭侯に
建安8年(203年)荀彧40歳の時、曹操は荀彧の前後の功績を記録し、上奏し万歳亭侯に封じた。
裴松之の注に曰く、曹操が献帝に上奏した文章が残っている。
「慮は功のはじめ、謀は賞の本(もと)たり」と申します。戦場での功績は戦略上の功績には及びません。多くの戦いに参加し武勲をあげることは、国政の参画には及びません。
侍中・尚書令の荀彧は若い頃から 徳を積み過ちを犯さず、この乱れた世に 忠誠を心がけ世の安定に力を尽くしてまいりました。私は義兵をあげて以来、この荀彧と力を合わせてまいりました。彼の意見、計画は常に成果をあげてまいりました。私が実績をあげることができたのは荀彧の働きによるものです。
特に陛下が 許にお移りになりここを都とするにあたり、 荀彧はお側にて 忠勤に励み、薄氷を踏むような注意深さで仕事をこなしてまいりました。
天下が安定したのはまさに荀彧の功績です。彼に高い爵位を与え、最大の功労者であることを明らかにして頂きたく存じます。」
荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった。そこで曹操は荀彧に手紙を送った。
「君と行動をともにして以来、朝廷で君がしてくれた補佐、人材の推薦、進言してくれた内容、どれほど大きなものであったか。そもそも功績とは戦場だけで立てるとは限らない
。どうか辞退しないでほしい。」
ようやく荀彧は爵位を受けた。
荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった←功績は戦場だけやと因縁つけてきた武将誰やねん???
みいく謂えらく、こんなに荀彧を意固地にさせるほど、因縁つけてきた武将誰やねん!
あいつか、きっとあのやろうだw
曹操軍団全員が全員仲良いわけないもんな。荀彧が身内以外では最古参の人間。
成績を張り合ったり、あいつあんまり動いてないけど給料高くてずるいなとか。先に出世されてたまるかとか。そんなのに一個一個神経イライラさせられつつ、戦乱を収束させ文学の方にシフトしていった功労者なのに。
おまけに自分のやってきたことを公表すればいいのに隠す意味。なんかの古典で「そんな功績をわざと隠すようなことをしたら、誰も君の手柄だと気づかないぞ。」「知るか」みたいな問答があるんだけど。(荀子だったか韓非子だったか…)何を目指してるんだ荀彧様よ……
しかも万歳亭侯って何?なんか ださ…否、分かりづらく感じる。
優勝バンザーイ、みたいな感じ?
亭侯に封じられるというのは、功績により土地をもらい そこのオーナーになること。土地を管理してくれる雇われ店長(相)を置く。入ってくる租税も自分のものになる。基本給以外に不労所得として収入が得られる仕組み。
よく●●亭侯というのが出てきて、大概は地名+亭侯というパターンだけども、中には名誉職というか地名以外のオメデタイ単語をくっつけるときもあるようだ。
にしてもこの時点で、「千石」は功労者にしては少ないよな。