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2020年8月16日日曜日

魏書 荀彧伝 13(現代語訳)~曹操様に九錫を受けていただきましょう、董昭らのたくらみ|橘花美郁三国志☆

 



魏書 荀彧伝 13(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪




こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。


この記事は、

●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆



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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう




魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き
「曹操様の爵位を国公に進め、九錫(きゅうしゃく)を受けていただきましょう」董昭らのたくらみ




建安17年(212年)、荀彧49歳の時(当時は数え年なので彼ら的には50歳)、
董昭らは密かに荀彧にこんな相談を持ちかけた。
「曹操様の今までの功績を明らかにすべく、爵位を国公に進め、九錫(きゅうしゃく)を受けていただきましょう」

※九錫…功績の大きい重臣に対し、皇帝が特別に支給するプレゼントのこと。実用品が多い。皇帝御用達のものとほぼほぼ同じグレードの高級品なので、普通の重臣は持つことは許されない。衣類や印綬の紐とか皇帝しか使ったらあかん色がある。皇帝仕様の品物なので、もっと昔の時代、後を託す意味合いで授与されたことがある。そこからなんとなくもらったら次期皇帝?みたいなニュアンスが含まれるようになってきた。
具体的には、車馬、衣服、楽器、朱塗り門、昇降用の階段、儀仗兵、斧とまさかり、弓矢、お神酒の9つ。



荀彧はこう答えた。
「曹公が義兵を起こしたのは、朝廷を立て直し国家を安定させるため。天子に忠誠を尽くし慎み深くして真心を持ってお使えしてきたのである。君子たるもの人を愛するに徳をもってする、そんなことはすべきでない。」


曹操はこれを聞き平常心ではいられなくなった。



みいく謂えらく、ここめちゃ重要なのになんか文章変くない?
君子どこから出てきた?なんで人を愛する話になったの?

平常心でいられなくなるとは、必ずしも怒りなのか?
自分を理解してくれて胸熱!心が震えたのか?
寂しくてざわついたのか?





「曹公が義兵を起こしたのは、朝廷を立て直し国家を安定させるため。」は良いとして。
「天子に忠誠を尽くし慎み深くして真心を持ってお使えしてきたのである。」


原文は「守退譲之実(退譲の実を守る)」、皇帝(上司)相手に曹操が謙虚に振る舞うのは当たり前っちゃ当たり前(退譲)。実を守るってどう言う意味なんだろう。果実の実、みのる事以外には誠意、偽りでない事など。
ここに「実」って単語を被せている事で、荀彧が曹操をかばっているようにも見える。


董昭よ、曹公がいずれ漢王朝乗っ取るつもりだろうから早く布石打ちましょうと言いたいんだろうけど、曹公はそんな気ないぜ。この20年一緒に仕事してきたがそんなワルじゃないぜ。乗っ取る気なら帝を許に呼び寄せるかい。


曹操が九錫を欲しいと言ったわけじゃなく、曹操が上に上がってくれればわしらも順番に繰り上がって出世するわいと言う周りの人間の念がふつふつと見えますけど。
九錫が欲しいとかバブリーなのを好むなら、なんでプライベートあんな質素やねん!自分のお葬式も簡単でええ!と言うような人が九錫なんぞ欲しがるかい!



曹操は平常心ではいられなくなった
魏公を反対されて曹操がイラついたから?

いやもっと胸アツ展開なのかもしれない






「君子愛人以徳(君子人を愛するに徳をもってす)」
この時代、「以徳(徳をもってす)」が流行ったんだろうか。


論語の中に、
「直(ちょく)をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いよ」という言葉がある。


(意味)ある人が孔子に尋ねた。「恨みのあるやつにもよくしてあげるのはどうですか?」
孔子は答えた。「それならよくしてくれた人にはどう返すの?恨みのあるやつは正しさで返し、よくしてくれた人にはよくして返せばいいのだ」と。


荀彧が言いたかったのは、他にやりようがなかったとはいえ洛陽から強引に遷都してしまった。でもその後も献帝は自分らを信頼しよくしてくれている。だからこそ天涯孤独な献帝に最大限楽に暮らしてもらおう、そのために俺らはやっているという事。


清流派の士大夫の皆さんからしたら、論語だのなんだのの古典は、掛け算九九を暗唱するようなものでスラスラいえないと結構恥ずかしいレベルの教養だったに違いない。(現代人は毎回ネットで調べますがw)この韻を踏んでるような感じから、この論語の文章を想定しつつ話ししてたのかなーと。


だから臣下の分際で、しかもお前みたいな新入りが、献帝の心をざわつかせるようなクソみたいな事いうんじゃねえよと大古株の荀彧パイセンはキレたわけです。
(荀彧からみたら全員新入り)



それを聞いて、曹操は平常心ではいられなくなった。
(原文は「心不能平」心平らかなること能わず)


「心平かなること能わず」を「魏公を反対されて曹操がイラついた、荀彧に対し嫌気がさした」と訳す向きもあるけど、荀彧は常々曹操に「周の文王みたいになってね」と半ば暗示かけてたので、魏公、魏王になることは荀彧の願いでもあったんじゃないのかなあ。


しかもそんなんで心平かなること能わずだったら、とっくに荀彧は曹操に消されてると思うけどw 兗州攻略の時も言ったじゃん!!徐州狙うより先に本拠地の兗州どうにかしようって。


みいく謂えらく、曹操は別の意味で「心平かなること能わず」になったんだと思う。
感動した、胸熱になったとか。


正直、表向きは皆曹操にへいこらしてるけど、裏では何言ってるかわからんなあ。曹操の部下以外にも、旧貴族の面々とか利害関係の異なる人間が朝廷にはいっぱいいる。
怖いリーダーであればきっと影でなんか言われてる。曹操がそれに気づかないわけはない。
どうせ漢王朝乗っとるんだろ、と思われながら激務をこなしている曹操かわいそ。


そこを荀彧が、曹公はそんなつもりじゃないぜって言ったから、わかってくれるのはこいつだけだぜってなってるのかも。やんちゃしたのは子供の時の話しで、今は更正したんだ。
いつまでも阿瞞(嘘つきそうちゃん)じゃねーよって曹操は言いたかったんだろうな。
ごんぎつねみたい)


あるいは九錫を受けるのを反対され、寂しくなったのか?
これも「心平かなること能わず」と言えるかも。




2020年8月15日土曜日

魏書 荀彧伝 14(現代語訳)~「彧疾みて寿春に留まる」疾は急な病気、なんで「病」じゃないんだろう?|橘花美郁三国志☆


魏書 荀彧伝 14(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪




こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。


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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き 

「彧疾留寿春(彧疾みて寿春に留まる)」

疾には急な病気、病気、早い、という意味がある。

なんで「病」じゃないんだろう?





孫権の征伐が行われた。曹操は軍の慰問のため荀彧を借りたい、譙にきて欲しいと上奏した。
荀彧はとどまり侍中・光禄大夫(こうろくだいふ)(近衛大臣)としての節(旗、旅中いう事聞かない奴は斬ってよしの権限)を持ち、曹操の軍事に参画した。
曹操の軍隊は濡須(じゅしゅ)についた頃、荀彧は急な病気になり寿春に残った。
先のことを憂いもって薨じた。
享年五十歳。敬公と諡(おくりな)された。
明くる年、曹操は魏公となった。



みいく謂えらく、許都から戦地の濡須に向かうのに、譙を経由する意味?
譙に何があるんだろう。沛国譙郡…今回の配備で何が関係するんだろう、曹操の故郷である事以外に。
尚書令の荀彧がいつの間に光禄大夫になったんだ?曹操のところに行くので、献帝も自分の味方でいて欲しいから光禄大夫にして、旅中いう事聞かない奴いたら朕の名前だしていいから!斬っていいからね!の非常時のみのスペシャル権限(節)まで持たせて行かせたのか…どっちからも愛されまくりじゃないか!
というかこの三角関係が終始荀彧を苦しめる足枷だった気もするんだけど。


許都を出発した時は荀彧は元気だったと思う。旅の途中で急な病気にかかったと思われる。
原文は「彧疾留寿春(彧疾みて寿春に留まる)」疾には急な病気、病気、早い、という意味がある。疾風とか。


なんで「病」じゃないんだろう?と思うに病と疾は意味が少し違うらしい。成り立ちでいうと
「病」は文字通りガチの病気、起き上がれない、寝たきり状態
「疾」は軽い病気
らしい。軽い病気なのになんで死んじゃうの!!(涙)



ちょうどこの記事を書いている2020年8月、コロナウイルスの大流行で世界中で2000万人の人がかかり、80万人が亡くなっている…。2019年の年末くらいから流行りだし、世界の大都市は封鎖され(ロックダウン)、飛沫感染を防ぐため外出はしないように、仕事の仕方や経済の形まで大きく変えてしまった。
ワクチンはないし、そもそも正体もよくわからない新種の風邪…


三国志演義の一番はじめの頃、黄巾の乱の頃も疫病が流行ってたけど、これが現代で言うところの「第2波」って奴じゃないのか。日本では一旦収束しかけたに見えたコロナウイルスの患者がまた増え始めてる。


黄巾の乱の起きた場所って潁川(許都)、陳留、荊州、青州などざっくり北の方。じきに疫病の話は出てこなくなる。(しばらくして赤壁の頃またわけわからん疫病が流行ったな)当時の都・洛陽からも近いし医療が整っていたほうなんじゃないかと。洛陽方面から離れるにつれ、十分な医療が受けられずに放置されてる可能性はあるし、亜種が生まれた可能性もある。




荀彧も潁川に帰り先祖代々のお墓(廟)に祀られるはず。なのになぜ寿春に埋葬されているんだろう?黄巾の乱の頃も疫病が流行ってたけど??









そこに知らずに踏み込んでしまった。留守番専門の荀彧が珍しくロングロングジャーニー。
きっと疲れもたまってきたり、旅中なのでご飯が冷めていて食べなかったり、大好きなお香は持ってくるの忘れたしサイアク…面会おわたらさっさとウチに帰りたい…そんな事を思っていた矢先。
なんか身体がだるい、熱っぽいな…


最初軽い風邪ですよとタカをくくっていたけど、新型ウイルスで今までの治療法じゃ治らないぞ!と気づきいた。しかも名医・華佗は先日曹操の不興を買い処刑されちゃったんだっけ…ヤバイ、薬がない!治らないのか!と
「病状に関して憂いてる」間に急死してしまった。


肝心なところを削ったり荀彧に対してこじらせ気味な陳寿が、荀彧の急死を「薨じた」と表現している。(原文「以憂薨」)これは本来皇族やガチ貴人に対して使用する言葉。それを荀彧に使っているところに、本来のリスペクトと文中の素直に認めたくない反発心が透けて見えるよう。


読み方によっては、荀彧は魏公反対から曹操と不仲になり、人生詰んだと悲観して亡くなったようにも読めるけど、原文から文字をひろうとそうでもないんじゃないと言える。


生前、荀彧は曹操に「周の文王」みたいになってね!そのために補佐するから!と言っている。実際、曹操は「魏王」にはなったけど「魏帝」にはならなかった。
そこに他の人間が入り込めない二人の約束があると思うんだけどなあ。



正史には触れられていないけど、荀彧のお墓は亡くなった土地、寿春城の場外にあるという。
なんで寿春?大概、遠征中に亡くなった時は、遺体は故郷とか本拠地に運ばれてると思うんだけど。荀彧の息子たち、兄弟、親戚縁者、みな都で活躍してる人物ばかりなので、経済的にとか立場的にか連れて帰ってこれない訳が無い。



荀彧は生前、親戚の荀爽と仲の良かった何顒の遺体を潁川まで連れて帰っている。
「西に引き取りに行った」という記述があるので潁川から見て西、洛陽あたりの獄(収容所?)から連れて帰ってきちんとお弔いしたんだろう。
曹操も洛陽で亡くなり、死後鄴城に帰還している。

荀彧も潁川に帰り先祖代々のお墓(廟)に祀られるはずである。



なのになぜ寿春に埋葬されているんだろう?
そこに埋葬しないといけない理由があったんだろうか?
荀彧的には絡みのない土地なのに…


仮説としてタイムリーに想起されるのが、コロナウイルスである。

昭和を代表する国民的なコメディアンの方も、コロナにかかりあっという間に亡くなってしまった。亡くなった後、遺族はゆっくり別れを惜しむこともできなかっと聞いている。
コロナウイルスが指定伝染病であり、正体不明の病気なので亡くなった後も近づいてはいけないというのだ。

荀彧が旅中にかかった病気も特効薬のない流行病だったため、動かすことができず潁川まで連れて帰れなかったんじゃないだろうか。現に潁川には祖父・荀淑の墓や八龍塚(荀氏の八龍=荀淑の八人の息子たちの墓。荀彧の父親も含む)があり、現代まで残っている。


訳の分からない流行病にかかってしまって、やりたいことの途中で亡くなったのは悲しいけど
それを曹操との不仲とか確執とかに拡大解釈するのはちと解せませんな、
というのがみいくの考え方です。




魏書 荀彧伝 12(現代語訳)~赤壁の戦いしなくても? 劉備を江陵に入城させるな!劉表の病死|橘花美郁三国志☆



魏書 荀彧伝 12(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





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ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1

https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html

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潁上華電視台DAY2  



三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き
荊州の劉表を討伐!この後有名な赤壁の戦いに繋がっていくのに荀彧の献策がすっぽり抜けて存在しないのはなぜ?





曹操は荊州の劉表を討伐しようと考えていた。荀彧に尋ねた。「何かいい策はないか」
「今夏華(中原)は平定されおり、南方の劉表はヤバイなと思っていることでしょう。
陽動作戦です。苑、葉方面に一隊を出撃させ、それと別に軽装の兵士たちを間道(抜け道)沿いに進行させます。相手の不意をつくことです」
曹操はその策を取り入れた。たまたま劉表が病死した。曹操は荀彧の策どおり苑、葉まで向かった。劉表の息子・劉琮が応対し荊州は降伏した。(戦闘せず城を明け渡した)



みいく謂えらく、この後有名な赤壁の戦いに繋がっていくのに、ここら辺の荀彧の献策がすっぽり抜けて存在しないのには悪意を感じる。
官渡の戦いであんなページ使ったのに、小規模の小競り合いでも相手の心理まで深読みして作戦練る荀彧が赤壁の戦いの時に何も意見を求められてないはずはなく…意図的に消したわね、陳寿。あんたは元々蜀の人間かもしれないがちゃんと後世に残すべきことは残しとけよと言いたい。
それぐらい、丸ごと秘匿してしまうほどに的確な献策を荀彧はしていたとも読み取れるけどね。


劉琮はあっさり降伏している。あっさりというか、そうさせた。前振りで、
許都に遷都してから劉表さん年貢一回も納めてないっすスよね〜俺らをナメてんのか、それとも帝のことナメてる感じっスか?とコワイ文章を送りつけておいたのでそれが効いたと思う。
降伏したら滞納した年貢は無しにしてあげるし、帝にもイイ感じで報告しておくから♪とでも言ったんだろうか…


赤壁の戦いってしなくてよかったんじゃね?
劉備を江陵に入城させるな!劉表の病死でバタバタしておかしな展開になってしまった





以下、【消された赤壁のページがあったつもり】で書いていきます。


曹操は荊州の州都・襄陽城に入場した。都にいる荀彧に手紙を送った。
「劉表の客将だった劉備が荊州の人間たちを扇動して逃げたようだ、官吏や農民ばかり10万人以上も減ってはかなわん。城下町が空っぽだ。即刻追いかける」


荀彧はこう返答した。

「追いかけたところで無駄でしょう。皆劉備の話を信じ込み、また自分ら庶民の声を代弁してくれると思い込んでいますから引き離すのは容易ではありません。
劉備の行き先は、おそらく江陵でしょう。備蓄もあるし交通の要所です。親戚の劉琦がいるのでそこに避難し時期を待つつもりでしょう。


しかも劉備には義弟の関羽、張飛がおり、まともにやり合うのは危険です。まずは劉備が江陵につくまえに劉琦に使いを送り、劉表が年貢を怠ったこと、劉琮がそれをリカバリーするために我らの指示に従うことになったと伝えるべきです。劉琦にもリカバリーに協力するように、劉備に加担しないように説得することです。劉備が不用意に人々を怖がらせ、嘘の情報で朝廷の権威を貶めたことを指摘し、絶対に江陵に入城させるなと釘をさすことです。
劉琦もまだ若いし政治的な経験は乏しい。好んで戦闘仕掛けてくるとは思い難い。まして朝敵なんて言われたら慌てて指示に従うはずです。


一族の年長者の劉備に言われ、そうかなーと思って従っているだけですから。
親戚同士なので助けたいと思うはずですから、長いこと繋いでおけなくてもこの冬の間こちらにつけていくことができれば良いでしょう。(8月に劉表病死、9月に劉琮降伏、この頃は陰暦なので10月はもう冬、だいぶ寒い。地球単位で見ても寒冷期に当たる)


江陵に入城できないと知れば飢えや冬の寒さに耐えきれず、飛び出した官吏や農民たちも戻ってくることでしょう。さしもの豪傑たちも空腹で野宿連泊では力が出しきれますまい。
その上で奇計を持って当たれば、劉備たち義兄弟は捉えることができましょう。


それより東呉の人間が、劉備と接触をもとうとしているようです。
劉表の弔問にきた魯粛と言う人物、弔問客がこんなずれたタイミングでくるのはおかしいではありませんか。荊州の視察と何か密談があってやってきたのに違いありません。


先日揚州刺史だった劉馥が亡くなったおり、その配下の者たちが暴動を起こしたため揚州は不安定な状態です。張遼、夏侯淵らが鎮圧に力を注いでおりますが、内政に詳しいもので新しい揚州刺史を派遣させましょう。この任は〇〇におまかせあれば適任です。」
(〇〇…パッと思いつかないけど揚州に縁のある、曹操軍団のホープ的な人。しかも荀彧とツーツーの人で)


曹操はその策を受け入れた。


9月、劉琦は都からの手紙を受け取り、朝敵にされたくなかったので春まで劉備の入城を拒否すると言い出した。劉備は慌てて近隣の県に助けを求めたが、すでに遅かった。劉備を受け入れる城はなく野宿連泊せざるを得なかった。じきに荊州には人々が戻ってきた。戻ってきた人間は罪に問わないと言うお触れが出たので皆大人しく自分たちの仕事に戻っていった。


揚州は土地勘のある〇〇が大活躍し、部下に当たる会稽太守・孫権にもバチバチ睨みを利かせていた。〇〇の交渉で孫権の子供を都に住まわせた(人質)。揚州は安定した。



……

……赤壁の戦いってしなくてよかったんじゃね?



劉表対策は考えていたけど劉備が迎えた若い参謀(諸葛孔明な)と言うのがなかなか粋な動きをしてくる…
荀彧様ちょっと燃えたかもしれない





荀彧的には荊州を抑えること、南下していくことは考えていたけど、劉表の病死でバタバタしておかしな展開になってしまったって言うのが本音なのかも。
九州の設置のくだりで、劉表に長江と漢水の間の地で頑張られちゃうと、天下統一が遠くなるのよねと発言している。劉表対策は考えていたけど、劉備、孫権がその隙間に入り込んじゃった。しかも劉備が迎えた若い参謀と言うのがなかなか粋な動きをしてくるな、計算外だったぜとちょっと燃えたかもしれない。


多分、いつものパターンだと大きい戦いの前って大概、荀彧は曹操を一旦止めるパターンが多い気がする。まず根回ししてからさあどうぞみたいな。
もしかしたら、荀彧の構想では主戦場は赤壁じゃなかったのかもしれないよな。自分たちが不得意な水上で戦うって言わない気がする…


だからこそ赤壁の項目は荀彧伝から抹消されているのか…





魏書 荀彧伝 11(現代語訳)~曹操、鄴を陥落させ冀州牧へ!九州設置は時期尚早。曹家荀家親戚に|橘花美郁三国志☆




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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

曹操、鄴を陥落させ冀州牧へ!

九州設置はまだ早い、旧都・洛陽を修復し人々に真意を伝え国家を安定させましょう




建安9年(204年)荀彧41歳の時、曹操は鄴を陥落させて冀州牧となった。あるものが曹操にこう進言した。「古の制度を真似て九州を復活させてはいかかがでしょう。冀州の領土は増え天下を従えることができるでしょう。」
曹操はこの策を受け入れた。しかし荀彧は反対した。


「なりません、このようなことをしたら冀州は(まだ手に入っていない、実効支配の)河東(かとう)、馮翊( ひょうよく)、扶風(ふふう)、西河(せいか)さらに幽州、并州のあたりまで勢力をのばさねばならず、(完全なる支配下に置くには)多くの土地を奪わなくてはならないでしょう。



先日、曹公は袁紹を破り審配を捕らえました。
国中が震え上がり、人々は自分の土地や兵隊を守り通せるかかと恐れております。今その土地を奪い冀州に併呑させてしまうと動揺がおきます。



しかも今関中の諸将に対し 関所(函谷関、武関)を閉ざしておくように勧めているものが多いと言います。次は自分たちの領地が狙われてると思っているのでしょう。



いったん状況が変われば、我々に大人しくしたがっている連中も怯えて反抗してくるかもしれません。そうなれば袁尚は死線を逃れ、袁譚は二心を抱き、 劉表は長江、漢水の間にのさばり続け、天下は不安定なままです。


曹公まずは急ぎ兵を率いて河北を平らげ、そのあとに旧都・洛陽を修復しましょう。そして南の荊州の劉表に使いを出し、年貢を収めていないことを追求してください。
そうすれば天下の人々は曹公の 真意を知り、次第に安定してくるでしょう。



天下が大いに定まったあとに、古代の制度である九州設置を考えましょう。それが国家を永続させるやり方です。」


曹操は、九州の設置を取りやめた。



曹操は自分の娘を荀彧の長子・ 荀惲(じゅんうん)にめあわせた
この家系はイケメンの多い家系なのかな。荀悦もイケメンだったそうな




曹操は自分の娘を荀彧の長子・ 荀惲(じゅんうん)にめあわせた。のちに安陽公主と呼ばれた女性である。
荀彧と荀攸は揃って高官だったが、謙虚で慎ましい生活をしていた。 禄(給料)や下賜品は一族や知人にばら撒き、家に 余財を蓄えなかった。



建安12年(207年)、荀彧44歳の時、荀彧は 領邑千戸の加増を受け、合計二千戸となった。


裴松之の注に曰く、侍中の陳羣は孔融とともに汝南、潁川の人物について論じ合ったことがある。陳羣は荀一族についてこう述べている。(「荀氏家伝」より)


「荀彧、荀攸、荀衍(じゅんえん)、荀諶(じゅんしん)、荀悦は当世に並ぶ者がない。」


※荀衍は荀彧の一番上の兄。 監軍校尉として 鄴を守備した。軍人として功績をあげ列侯に封ぜられた
※荀諶は弟。袁紹のところから転職してきたのか
※荀悦は荀彧のいとこのお兄ちゃん。 秘書監侍中





みいく謂えらく、荀悦もイケメンだったそうな。(後漢書だったかな)
この家系はイケメンの多い家系なのかな。ただ他の兄弟親戚には外見上の特徴が書き残されていないのでフツーだったんでしょうw。荀彧と荀悦をつなぐものってなんだろう?
母方が美人の家系なのか。荀彧の母と荀悦の母が姉妹だったとか。荀悦は文学者で「漢紀」を著わしたという。私が子供の頃持っていた広辞苑には、荀彧をさし置き荀悦の名前が出ていたので、そんなすごい人なのかーって思った記憶はある


記録で見る限り、長兄、次兄、荀彧、弟、4人兄弟のようだが(姉妹の存在は不明。書いてあるものに出会ったことがない)、次兄どこいった?
こんだけ有名な兄弟で 事績はおろか名前すら見たことないって一体…不良なら不良でそういう記述があってもいいのにな。もしくは  早逝?
魏の時代になってからの話。荀彧の息子たちはわずか30代で亡くなっていることが多いんだけど、政敵からの刺客でなければ遺伝的な何か?またはワーカホリック気味の父親荀彧を見て育ったための生活習慣病か?次兄との関係性もきになるところ。



九州設置のくだり。実際にその土地を手に入れたわけでもないのに、勝手に自分の国だから改名しちゃいまショウ☆っていったの誰やねん。まあ年貢的なものは納めさせたり従属させていたかもしれないけど。
いかにも手柄欲しさというか、ねえいいアイディアでしょ、うまいこといきましたら言い出しっぺのあっしにもお願いしますよ、色々と♪
…っていうのがスケスケに見えるんですが大丈夫?
そんなポンコツを一刀両断した荀彧だけども、世の中そんな聞き分けのいい善人だけじゃないよ…報復とか怖くなかったのかなとこっちが心配になるわ。


それも全て曹操のためであり、息子と同じくらいの年頃で天涯孤独になってしまった献帝のためかと思うと。
挙句に没後もずっと不幸の人扱いでは、孤独すぎるなあ。




献帝は荀彧、荀悦、孔融の3人を講師にして

色々お勉強していた
太子の時も荀氏からの人選になったんでしょう





荀衍の子、荀紹は太僕(行幸長官)になり、孫の荀融は洛陽の令(長官)になっただけでなく、「易経」「老子」などの研究にも業績を残した。
荀諶の子荀閎(じゅんこう)太子文学掾(たいしぶんがくえん)(皇太子の文書担当補佐)となり、その従孫の荀煇(じゅんき)太子中庶子(皇太子の侍従)となり、音律制定に業績を残し「易集解」を著わした。


みいく謂えらく、太子とは曹叡のことかなと思ったけど献帝にも一人息子がいたらしいのでそちらでしょう。献帝は荀彧、荀悦、孔融の3人を講師にして色々お勉強していたそうなので、太子の時も荀氏からの人選になったんでしょう。孔融は荀一族、というか荀彧をかなり目の敵にしていたようだけど、このパワーバランスでは気持ちはわからなくない。我こそ名門と思ってイラついてる孔融の姿が想像つくな…




























2020年8月10日月曜日

魏書 荀彧伝 10(現代語訳)~荀彧万歳亭侯に!自分の功績を讃える上奏文は献帝に通さなかった荀彧|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 10(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪




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●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう




魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

203年、荀彧万歳亭侯に



建安8年(203年)荀彧40歳の時、曹操は荀彧の前後の功績を記録し、上奏し万歳亭侯に封じた。

裴松之の注に曰く、曹操が献帝に上奏した文章が残っている。


「慮は功のはじめ、謀は賞の本(もと)たり」と申します。戦場での功績は戦略上の功績には及びません。多くの戦いに参加し武勲をあげることは、国政の参画には及びません。
侍中・尚書令の荀彧は若い頃から 徳を積み過ちを犯さず、この乱れた世に 忠誠を心がけ世の安定に力を尽くしてまいりました。私は義兵をあげて以来、この荀彧と力を合わせてまいりました。彼の意見、計画は常に成果をあげてまいりました。私が実績をあげることができたのは荀彧の働きによるものです。

特に陛下が 許にお移りになりここを都とするにあたり、 荀彧はお側にて 忠勤に励み、薄氷を踏むような注意深さで仕事をこなしてまいりました。

天下が安定したのはまさに荀彧の功績です。彼に高い爵位を与え、最大の功労者であることを明らかにして頂きたく存じます。」

荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった。そこで曹操は荀彧に手紙を送った。



「君と行動をともにして以来、朝廷で君がしてくれた補佐、人材の推薦、進言してくれた内容、どれほど大きなものであったか。そもそも功績とは戦場だけで立てるとは限らない
。どうか辞退しないでほしい。」

ようやく荀彧は爵位を受けた。





荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった←功績は戦場だけやと因縁つけてきた武将誰やねん???




みいく謂えらく、こんなに荀彧を意固地にさせるほど、因縁つけてきた武将誰やねん!
あいつか、きっとあのやろうだw


曹操軍団全員が全員仲良いわけないもんな。荀彧が身内以外では最古参の人間。
成績を張り合ったり、あいつあんまり動いてないけど給料高くてずるいなとか。先に出世されてたまるかとか。そんなのに一個一個神経イライラさせられつつ、戦乱を収束させ文学の方にシフトしていった功労者なのに。



おまけに自分のやってきたことを公表すればいいのに隠す意味。なんかの古典で「そんな功績をわざと隠すようなことをしたら、誰も君の手柄だと気づかないぞ。」「知るか」みたいな問答があるんだけど。(荀子だったか韓非子だったか…)何を目指してるんだ荀彧様よ……


しかも万歳亭侯って何?なんか ださ…否、分かりづらく感じる。
優勝バンザーイ、みたいな感じ?

亭侯に封じられるというのは、功績により土地をもらい そこのオーナーになること。土地を管理してくれる雇われ店長(相)を置く。入ってくる租税も自分のものになる。基本給以外に不労所得として収入が得られる仕組み。


よく●●亭侯というのが出てきて、大概は地名+亭侯というパターンだけども、中には名誉職というか地名以外のオメデタイ単語をくっつけるときもあるようだ。

にしてもこの時点で、「千石」は功労者にしては少ないよな。
















2020年8月9日日曜日

魏書 荀彧伝 09(現代語訳)~官渡の戦い、「彧の策するが如し」袁紹軍の内部崩壊は荀彧が仕組んだ?|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 09(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪




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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

200年官渡の戦い、

「彧の策するが如し」袁紹軍の内部崩壊は荀彧が仕組んだ?





建安5年(200年)、荀彧37歳の時。曹操と袁紹の戦いは続いていた。
曹操は官渡を拠点に置いていたが、袁紹の大軍に包囲された。兵糧もそこをつき、
最早これまでと親書を荀彧宛にしたため、一旦許昌に戻ること、許昌に袁紹をおびき寄せそこで一気に叩くのだと伝えた。

荀彧の意見はこうだった。
「今は兵糧不足とはいえかつて項羽と劉邦が滎陽、成皋でにらみ合っていたときほどではありません。この時項羽も劉邦もどちらも先に引こうとはしませんでした。先に引いた方が体勢を崩し敗北するとわかっていたからです。これまで曹公は敵の十分の一の戦力で拠点を守り抜き、敵の喉元を押さえつけたまま半年経過しています。
今敵陣では統制がほころびかけています、この後必ず状況が変わってきます。奇策を用いるチャンスです。この機を逃してはなりませんぞ」


みいく謂えらく、荀彧ってまるで敵地で見てきたかのような言い方をするけど、実は本当に見てきたんじゃないのかなあと思う。荀彧て政治家色が強いけど、そういう裏工作、根回し系が得意で、だからこそ後方支援、諜報活動とかもしていたのかなあ。
のちの赤壁の戦いで周瑜が船団の下見に、自ら斥候に立つシーンがあるけど。軍師さんたちはそういうのもコミコミで仕事していたのかも。



曹操は撤退を取りやめ、袁紹の別の駐屯地に奇襲をかけ、武将の淳于瓊らを斬った。袁紹はついに敗退した。
その後、審配が許攸の家族が不正をした罪で、許攸の妻子を拘束してしまった。許攸はこのさばきに腹を立て、袁紹を見捨て曹操側に寝返った。
顔良、文醜は陣中で首を取られ、田豊は袁紹への諫言を理由に処刑されてしまった。
荀彧が策を施した通りになった。



みいく謂えらく、原文に「彧の策するが如し」となっているので「策を施した通りになった」と訳した。ここを従来通り、荀彧の予言とか人間観察力で済ましてしまうのはどうなんだろう。袁紹軍の内部崩壊は荀彧が仕組んだと読み取ったほうが素直かと。


荀彧は破壊工作や陣中をウロウロすることはないという、思い込みに思えてしまうんだけど。



もっと深読みするなら、カモフラージュだったりして。
曹操が常々、荀彧を張良になぞらえたり、帷幄の中で策を練るキャラにしてるだけで結構最前線で変装した荀彧にすれ違っていたりして。バレないように、曹操も荀彧は本拠地で留守番してるよん♪と、、、、まあ一種の流言ですな。



よく考えると荀彧様 こっわ。涼しげな表情なのにまさかの手練れ。
でもそんな危険な香りも素敵❤︎(みいく個人の見解ですw)





官渡の戦いを始める前に荀彧と孔融が袁紹の部下たちについて論じ合う




曹操が徐州を平定し、この戦いを始める前に荀彧と孔融が袁紹の部下たちについて論じ合ったという。建安3年(198年)荀彧35歳の時である。


孔融は荀彧に向かって、袁紹の方に勝算があると考えていた。
袁紹の方が領土が広く、兵力が多く、人材も豊富だからというのである。知謀の士として田豊、許攸、忠義の士として審配、逢紀、武将としては顔良、文醜がいる。とても敵う相手ではないと。




荀彧はこれに反論して兵力は多いが締まりはなく、人材が多いと言っても田豊は強情で主君に逆らい、許攸は私欲が強く、 審配は独断で、逢紀は向こう見ず、顔良、文醜だってありきたりな武将にすぎないと言い切った。実際官渡の戦いでは荀彧の見方通りのことが起きた。




みいく謂えらく、この解説だと許攸ががめついけど一番まともなので、そこから切り崩したかったんだろうか。














2020年8月8日土曜日

魏書 荀彧伝 08(現代語訳)~手中にあるは兗州と予州のみ!…曹操の憂いと鍾繇グッジョブ|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 08(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

兗州と予州のみで、天下の六分の五と戦わねばならなくなる
…曹操の憂いと鍾繇(しょうよう)グッジョブ





荀彧は続けてこう言った。
「それより先に呂布を抑えねば。奴を片付けねば河北は攻略できませんぞ」

「俺もそう思うが、袁紹は関中に進出して(北方の)羌族(きょうぞく)、胡族(こぞく)に反乱をそそのかすかもしれないし、南方の蜀、漢中を煽ってくるかもしれない。俺は兗州と予州のみで、天下の六分の五と戦わねばならなくなる。どうすればいいんだ」


「ご心配には及びません。関中には小マシな軍閥が10ほどありますが、如何せん一つにまとまることは難しいでしょう。その中で勢いがあるのは韓遂と馬超ですが、我らが東部で兵を動員すれば兵力温存策に出るでしょう。ひとまず恩賞を与え手なづけておくべきです。ずっと大人しくしてるとは思えませんが、こちらが東部を平定するまでの間くらいは十分でしょう。こういう西部の問題は鍾繇どのにおまかせあれば将軍の憂いは無くなります。」


鍾繇は元孝廉で漢の献帝に仕えていた。曹操が長安にいた献帝に初めて使者を送った時、李傕、郭汜の取りなしで使者は大事に扱ってもらえた。献帝の長安脱出には鍾繇の力が大きい。

曹操の要請を受け、関中入りした鍾繇は韓遂たちを説得し息子たちを都におくらせたほか馬二千頭を送ってよこした。
喜んだ曹操は「昔、漢の高祖が項羽と戦っている時、蕭何は関中を守って前線に兵隊や食料を送った。鍾繇殿の功績はそれに匹敵する」と。のちに鍾繇は前将軍、魏の建国後は相国に、曹操の息子、孫の代まで仕え重用された。



みいく注
献帝の長安脱出の際鍾繇が活躍している。鍾繇グッジョブ。動きを抑えるだけじゃなく人質までとるとは。この鍾繇、荀彧、陳羣は親戚ぐるみの付き合いをしていた。荀彧が手引きしたんだろうか。
鍾繇も同郷の潁川郡出身なので、許に遷都した方が便利だよな、仲間多いしって話になったのかしら。












魏書 荀彧伝 07(現代語訳)~曹操献帝を迎える!「戦いの勝敗はトップの力量次第です!」 荀彧の一刀両断|橘花美郁三国志☆




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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

曹操献帝を迎えるも無礼な袁紹にイラつく
「古来より戦いの勝敗はトップの力量次第です!」
荀彧の一刀両断




曹操が献帝を迎えたことで(何かと曹操が中心になっていくため)、袁紹は内心不満で仕方なかった。当時の袁紹は黄河の北側を支配下に収めていて、天下の人々は強大な力を恐れていた。曹操は東の呂布に脅かされ、南の張繍と戦い、しかも宛城ではその張繍相手に大敗を喫していたばかりだった。袁紹はいい気味だと調子にのり、曹操宛の手紙も無礼な言葉を書き連ねた。曹操は激怒して明らかにいつもと様子が違いおかしかった。周囲のものは張繍にコテンパンにやられたせいだろうと噂していた。


鍾繇は心配して荀彧に尋ねた。
「曹公は聡明な方で、そんな過去の敗戦に執着する方ではない。他に何か理由があるんだろうと思うが…よし俺が聞いてくる」



曹操の元へ行き胸のうちを尋ねると、曹操は袁紹からの手紙を見せて言った。
「無礼尊大な袁紹のやつを叩きのめしたいが、力ではかなわない。どうしたものか」




そこで荀彧は答えた。
「古来より戦いの勝敗はトップの力量次第です。トップに力があれば弱小であっても強大になるし、トップに力がなければ強大であっても弱小になってしまうでしょう。劉邦と項羽の存亡を見てもわかることです。




今曹公と天下を争うものと言えば袁紹しかおりますまい。袁紹は外面はよく立派な人間を気取っていますがメンタルはブレブレ、仕事を人に任せておきながらその心を疑うようなやつです。曹公はさっぱりした性格で細かいことにこだわらず、どんな人間でも才能さえ提供してくれれば構わないという割り切ったお考えをお持ちです。これだけでも度量が違うのです。


袁紹は腰が重く決断できず、いつもチャンスをモノにできずにいる。 曹公は思い切った決断をされ臨機応変に柔軟に対応されます。決断力に置いても優っている証拠です。




しかも袁紹の兵たちはルーズで規律が保たれていない、人数は多くても役には立たないでしょう。曹公はルールがはっきりしていて賞罰もはっきりしています。我が軍の兵たちは人数は少ないと言っても皆先を争って戦おうとする者ばかりです。これは勇気で優っている証拠です。



袁紹は生まれた家の名声に寄りかかり、いかにも知識があるようにみせ、名ばかりを大事にしている。なので集まっているの名家の名に釣られたおべんちゃらのうまい連中ばかりです。曹公は誠実さを持ってあたり、心にもないお世辞は決して言われないお方。ご自分は質素な暮らしをされながら、功績あるものにはもの惜しみなさいません。ゆえに天下に義の心を知り自分の力を試したい者たちは、皆曹公のお役に立ちたいと思っています。これは徳が優っている証拠です。


今あげた4つの強みをお持ちで、まして献帝をお助けし、正義の戦いをする者に誰が表立って戦いを挑んできましょうか。まして袁紹のごときが何ができましょう。」


曹操は勇気付けられ喜んだ。



2020年8月6日木曜日

魏書 荀彧伝 06(現代語訳)典略他 ~荀彧は謙虚で私欲に心を動かさずイケメン…チート過ぎw|橘花美郁三国志☆



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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

荀彧は士人にへりくだり、

敷物を重ねて座ることもなかったという
政府の要職にあっても
私欲に心を動かすことはなかった





裴松之の注に曰く、魚豢(ぎょかん)の典略の記述によると
荀彧は身分上の定めを無視して、士人にへりくだり、敷物を重ねて座ることもなかったという。政府の要職にあっても私欲に心を動かすことはなかった。


みいく謂えらく、じゃあ当時はエライ人は敷物を重ねて座っていたんだなと。
(笑点の座布団みたいな感じ?)そういえばいつかの時代、一人一枚使う敷物を友人と一緒に使い友情を示した逸話があったけど。
ここのくだりは好きなエピソードではあるんだけど、これって本心なんですか荀彧様?



元々実家は潁川の豪族で、結構裕福な暮らしをしていたはず。祖父・荀淑は時の権力者にタンカを切って故郷に引っ込んでしまったけど、実業家としての力があり、「宗族を賑わす」と記録されているくらい。小さい頃から敷物でもなんでも十分に与えられていたはず。今までより生活グレードを下げてまでへり下ることにどういう意味があるんだろう?
パパラッチが鬱陶しかった?それとも救えなかった潁川の長老たちや親戚、縁者に対する追悼の気持ち?




美味しいものと香りのいいお香には目が無い荀彧様が、敷物はこだわらないところがお茶目♪



荀彧のおいに才能も性格もイマイチの男がいた。ある人が「荀彧殿は要職にあるのですから、彼をこっそり取り立てて議郎くらいにしてあげてもいいじゃないですか」といったが、荀彧は笑って相手にしなかった。
「官職はその人の才能を発揮させるためのものです。そんなことをしたら世間の人は私をなんというでしょうね」
荀彧の公正さはいつもこんな具合だった。







裴松之、潘勗(はんきょく)…後世のために荀彧がイケメンだった証拠を色々残している

陳寿の書き方に不満?





裴松之は魏書に荀彧の容姿についての言及がないので、よっぽど荀彧ファンだったのか、それでは足りないと思ったのか、後世のために荀彧がイケメンだった証拠を色々残している。陳寿の書き方偏ってない?と不審に感じたんだろう。




その一つ、典略から


「荀彧は堂々とした美丈夫だった。」



裴松之は荀彧の姿を説明するため「平原禰衡伝」からも引用している。
この書物は建安のはじめに荊州から許都に出てきた禰衡の伝記で、頭はいいようだがいらんことばかりいう男だった。その禰衡も荀彧の見た目が堂々としているので「荀彧は見栄えがいいから、葬儀で代表者として挨拶させたらちょうどいい」と皮肉をいうほどだった。




潘勗(はんきょく)という人物が書いた碑文の中に
「荀彧は優れた容貌、非凡な立ち振る舞いだった」と記していたことを紹介している。


後漢書 荀彧伝 03(現代語訳)


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準備中

後漢書 荀彧伝 04(現代語訳)


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後漢書 荀彧伝 02(現代語訳)


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後漢書 荀彧伝 01(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪|橘花美郁三国志☆


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魏書 荀彧伝 05(現代語訳)~曹操は献帝を迎え許を都に!曹操は大将軍、荀彧は侍中、尚書令に|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 05(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。

この記事は、

●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆



ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1

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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう


魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

曹操は献帝を迎え許を都に!

曹操は大将軍、荀彧は侍中、尚書令に




建安元年(196年)、荀彧33歳の時、曹操は黄巾軍を撃破した。漢の献帝は河東から元の都があった洛陽に戻った。曹操は献帝を迎え、許を都にしようと言った。

ある人は「山東はいまだに平定されていない。献帝を洛陽までお連れした韓暹(かんせん)、楊奉(ようほう)は北方の張楊と手をくんでおり簡単には制圧できないでしょう」

荀彧は曹操にこう勧めた。
「昔漢の高祖は東方(項羽)を征伐するにあたり、項羽に殺された楚の義帝を悼み、喪服を身につけて戦いました。ゆえに人々は高祖に心寄せました。
献帝がさすらいの身になられると、将軍はまず義兵を起こすことを唱えました。ただ東部での騒乱が続いたため関右にお迎えに行くことができなかっただけです。それでも身内の武将を派遣し危険を犯しながらも帝と連絡を取ってこられたのです。外の敵と戦いながらも心の中では漢王室の事を案じてこられたのです。これは将軍が天下を救おうという志の表れです。



今車駕(皇帝の乗る車)は軫宿にめぐらし(本来の場所、洛陽?)、義士は漢王室が元に戻るのを願っています。人々も在りし日の漢王室を懐かしみ悲しみにくれています。こんな時代こそ帝を奉じて人々の願いを叶えることこそ正しい道です。公正に徹して英雄豪傑帰服させること、これは大いなる戦略というものです。大義を掲げて英傑、俊才たちを手なづけること、これは大いなる徳義というものです。天下に逆らうものがあったとしてもなんの力になりましょうか。韓暹、楊奉ごときがなんの邪魔だてができましょうか。
このタイミングで決断せず、周辺の諸侯たち気づいて狙い始めてからは間に合いませんぞ。」



これにより曹操は洛陽に向かい、献帝を迎え許を都とした。
献帝は曹操を大将軍に、荀彧を侍中、尚書令に任命した。荀彧は常に中枢部にいて重要な立ち位置にいた。曹操は遠征し都の外にいるときも軍事や政治のことは常に荀彧と相談した。


【わかりみ】荀彧ってざっくり言うとどんな人?何した人なの?一人の男の決意と熱意の賜物~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪|橘花美郁三国志☆

こんにちは!三国志ライター橘花みいくです! この記事は、 ●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい ●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな  ●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい そんな方におすすめで...