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2020年7月26日日曜日

魏書 荀彧伝 03(現代語訳)~曹操は兗州牧から鎮東将軍に!張邈の謀反を察知、荀彧の機転|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 03(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。

この記事は、

●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆



ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1

https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html

(旧サイトです)


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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう


魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

曹操は兗州牧からの鎮東将軍に!荀彧は張邈の謀反を察知、夏侯惇を呼び寄せる





翌年(192年)曹操は兗州牧になり、鎮東将軍になった。荀彧は常に司馬として従軍した(荀彧29歳)。



興平元年(194年)曹操は陶謙征伐に向かい、荀彧に留守を任せた(荀彧31歳)。そのすきに張邈、陳宮が兗州で釣ってひそかに呂布を迎え入れようとした。呂布が兗州に来ると張邈は劉翊(りゅうよく)を荀彧のものとに遣わしてこう言わせた。






「呂布将軍が曹操殿の陶謙征伐に加勢するためやってこられました。速やかに兵糧を供給していただきたい」人々は動揺したが荀彧は張邈が謀反を起こしたのに気づき兵を勒し(部隊を編成し)備えを設けた。



(この人員では守りきれないとみて)急いで東郡太守の夏侯惇を呼び寄せた。しかし兗州の諸城は呂布に呼応していた。曹操が陶謙征伐に全軍投入していたので、留守の兵は少なく、兵士や役所の人間の多くが張邈、陳宮と内通していたのだ。駆けつけた夏侯惇が夜のうちに謀反に加わった数十人を処刑したのでようやく人々の動揺は収まった。



その後
予州の刺史(知事)郭貢が兵数万を率いて城下に到着した。
城内のあるものが、コイツらも呂布の時と同じ謀だ(兵士や役所の人間も皆寝返っている、囲まれたか!?)と騒然となった。




郭貢は荀彧に面会を求めた。荀彧が応じて面会に行こうとすると夏侯惇らが引き止めた。「お前はこの州を任されているんだぞ。行ったらやばいって。やめとけ」




荀彧は言った。「郭貢は張邈らのように結託していたは思えない。こんなに早くやってきたのは(先の騒動を聞いて張邈たちの企みに乗るか俺らにつくか)ブレたんだろう。今のうちに説得すれば100%の味方にはならなくても中立の立場にたたすことはできるだろう、はなから疑ってかかれば怒って謀反に乗っかってしまうだろう」




郭貢は荀彧の平然とした様子に鄄城(けんじょう)は簡単には攻められないと見て兵を引き上げて行った。



郭貢は荀彧の平然とした様子に勝算なしとみて兵を引く
張邈と陳宮がいらんことしてくれたおかげで、荀彧様の男気が光り輝いてますけど




みいく謂えらく、張邈と陳宮、荀彧様なめすぎ。きっと荀彧様が優男で文官で、曹操いないから軽く乗っ取れると思ったんだろう。



張邈と陳宮がいらんことしてくれたおかげで、荀彧様の男気が光り輝いてますけど。
てかほんまに決断力あるし頭切れすぎ度胸ありすぎ惚れ惚れするわ❤︎
郭貢は刺史(公務員)だし正当な理由もないのに、鄄城に攻め込んだら周囲から非難されるし最悪刺史の位を剥奪されかねない。立ち位置から逆算して冷静に問題を切り分けていっててすごい。これもし荀彧様じゃなく違う人間が留守番してたら、郭貢怒らして詰むやつ?




みいくが思うに郭貢は自分の拠点があるし、城を欲しいから兵を動員したのではなく、偽情報で留守番役の荀彧が領民を苦しめてるからなんとか言われて武装して見回りにきただけなのかも。



(じゃあなんで城攻めやすからずなんて表現すんねん陳寿のアンポンタンめ。郭貢さん公務員やからそんな小城いらんねんて




郭貢は毅然とした荀彧をみて、自分がきいた情報が偽情報だと気づいて帰って行ったんだと思う。まして荀彧の故郷・潁川は予州の一部。郭貢が自分の領内の潁川の人物評を知らないはずはなく、あゴメンやっぱ荀彧殿がそんなワルい(偽情報)ことするわけないよね〜 ガセ情報で騒がしたね〜帰るね〜 お父さんたちによろしくねーみたいな。



荀氏は潁川の顔役な訳で、郭貢とももともと親戚ぐるみの親交があっってもおかしくないかと。


俺に任せて話つけてくるからと、荀彧的にも勝算があり必ず説得できると思ったけど謙遜して(ココ重要!!)、あえてああいう遠回しな言い方してるんだぜ。気づいてあげてよ。

こういういろんな人脈が荀彧の強みでもあるんだな。


また程昱と協力し、(また同じパターンか)范城、東亜城の人たちを説得し、三城とも守りきって太祖の帰還を待った。曹操が徐州から帰ってくると濮陽にいた呂布を撃った。呂布は東に逃げた。




【わかりみ】荀彧ってざっくり言うとどんな人?何した人なの?一人の男の決意と熱意の賜物~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪|橘花美郁三国志☆

こんにちは!三国志ライター橘花みいくです! この記事は、 ●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい ●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな  ●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい そんな方におすすめで...