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2020年8月15日土曜日

魏書 荀彧伝 12(現代語訳)~赤壁の戦いしなくても? 劉備を江陵に入城させるな!劉表の病死|橘花美郁三国志☆



魏書 荀彧伝 12(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。

この記事は、

●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆



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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう




魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き
荊州の劉表を討伐!この後有名な赤壁の戦いに繋がっていくのに荀彧の献策がすっぽり抜けて存在しないのはなぜ?





曹操は荊州の劉表を討伐しようと考えていた。荀彧に尋ねた。「何かいい策はないか」
「今夏華(中原)は平定されおり、南方の劉表はヤバイなと思っていることでしょう。
陽動作戦です。苑、葉方面に一隊を出撃させ、それと別に軽装の兵士たちを間道(抜け道)沿いに進行させます。相手の不意をつくことです」
曹操はその策を取り入れた。たまたま劉表が病死した。曹操は荀彧の策どおり苑、葉まで向かった。劉表の息子・劉琮が応対し荊州は降伏した。(戦闘せず城を明け渡した)



みいく謂えらく、この後有名な赤壁の戦いに繋がっていくのに、ここら辺の荀彧の献策がすっぽり抜けて存在しないのには悪意を感じる。
官渡の戦いであんなページ使ったのに、小規模の小競り合いでも相手の心理まで深読みして作戦練る荀彧が赤壁の戦いの時に何も意見を求められてないはずはなく…意図的に消したわね、陳寿。あんたは元々蜀の人間かもしれないがちゃんと後世に残すべきことは残しとけよと言いたい。
それぐらい、丸ごと秘匿してしまうほどに的確な献策を荀彧はしていたとも読み取れるけどね。


劉琮はあっさり降伏している。あっさりというか、そうさせた。前振りで、
許都に遷都してから劉表さん年貢一回も納めてないっすスよね〜俺らをナメてんのか、それとも帝のことナメてる感じっスか?とコワイ文章を送りつけておいたのでそれが効いたと思う。
降伏したら滞納した年貢は無しにしてあげるし、帝にもイイ感じで報告しておくから♪とでも言ったんだろうか…


赤壁の戦いってしなくてよかったんじゃね?
劉備を江陵に入城させるな!劉表の病死でバタバタしておかしな展開になってしまった





以下、【消された赤壁のページがあったつもり】で書いていきます。


曹操は荊州の州都・襄陽城に入場した。都にいる荀彧に手紙を送った。
「劉表の客将だった劉備が荊州の人間たちを扇動して逃げたようだ、官吏や農民ばかり10万人以上も減ってはかなわん。城下町が空っぽだ。即刻追いかける」


荀彧はこう返答した。

「追いかけたところで無駄でしょう。皆劉備の話を信じ込み、また自分ら庶民の声を代弁してくれると思い込んでいますから引き離すのは容易ではありません。
劉備の行き先は、おそらく江陵でしょう。備蓄もあるし交通の要所です。親戚の劉琦がいるのでそこに避難し時期を待つつもりでしょう。


しかも劉備には義弟の関羽、張飛がおり、まともにやり合うのは危険です。まずは劉備が江陵につくまえに劉琦に使いを送り、劉表が年貢を怠ったこと、劉琮がそれをリカバリーするために我らの指示に従うことになったと伝えるべきです。劉琦にもリカバリーに協力するように、劉備に加担しないように説得することです。劉備が不用意に人々を怖がらせ、嘘の情報で朝廷の権威を貶めたことを指摘し、絶対に江陵に入城させるなと釘をさすことです。
劉琦もまだ若いし政治的な経験は乏しい。好んで戦闘仕掛けてくるとは思い難い。まして朝敵なんて言われたら慌てて指示に従うはずです。


一族の年長者の劉備に言われ、そうかなーと思って従っているだけですから。
親戚同士なので助けたいと思うはずですから、長いこと繋いでおけなくてもこの冬の間こちらにつけていくことができれば良いでしょう。(8月に劉表病死、9月に劉琮降伏、この頃は陰暦なので10月はもう冬、だいぶ寒い。地球単位で見ても寒冷期に当たる)


江陵に入城できないと知れば飢えや冬の寒さに耐えきれず、飛び出した官吏や農民たちも戻ってくることでしょう。さしもの豪傑たちも空腹で野宿連泊では力が出しきれますまい。
その上で奇計を持って当たれば、劉備たち義兄弟は捉えることができましょう。


それより東呉の人間が、劉備と接触をもとうとしているようです。
劉表の弔問にきた魯粛と言う人物、弔問客がこんなずれたタイミングでくるのはおかしいではありませんか。荊州の視察と何か密談があってやってきたのに違いありません。


先日揚州刺史だった劉馥が亡くなったおり、その配下の者たちが暴動を起こしたため揚州は不安定な状態です。張遼、夏侯淵らが鎮圧に力を注いでおりますが、内政に詳しいもので新しい揚州刺史を派遣させましょう。この任は〇〇におまかせあれば適任です。」
(〇〇…パッと思いつかないけど揚州に縁のある、曹操軍団のホープ的な人。しかも荀彧とツーツーの人で)


曹操はその策を受け入れた。


9月、劉琦は都からの手紙を受け取り、朝敵にされたくなかったので春まで劉備の入城を拒否すると言い出した。劉備は慌てて近隣の県に助けを求めたが、すでに遅かった。劉備を受け入れる城はなく野宿連泊せざるを得なかった。じきに荊州には人々が戻ってきた。戻ってきた人間は罪に問わないと言うお触れが出たので皆大人しく自分たちの仕事に戻っていった。


揚州は土地勘のある〇〇が大活躍し、部下に当たる会稽太守・孫権にもバチバチ睨みを利かせていた。〇〇の交渉で孫権の子供を都に住まわせた(人質)。揚州は安定した。



……

……赤壁の戦いってしなくてよかったんじゃね?



劉表対策は考えていたけど劉備が迎えた若い参謀(諸葛孔明な)と言うのがなかなか粋な動きをしてくる…
荀彧様ちょっと燃えたかもしれない





荀彧的には荊州を抑えること、南下していくことは考えていたけど、劉表の病死でバタバタしておかしな展開になってしまったって言うのが本音なのかも。
九州の設置のくだりで、劉表に長江と漢水の間の地で頑張られちゃうと、天下統一が遠くなるのよねと発言している。劉表対策は考えていたけど、劉備、孫権がその隙間に入り込んじゃった。しかも劉備が迎えた若い参謀と言うのがなかなか粋な動きをしてくるな、計算外だったぜとちょっと燃えたかもしれない。


多分、いつものパターンだと大きい戦いの前って大概、荀彧は曹操を一旦止めるパターンが多い気がする。まず根回ししてからさあどうぞみたいな。
もしかしたら、荀彧の構想では主戦場は赤壁じゃなかったのかもしれないよな。自分たちが不得意な水上で戦うって言わない気がする…


だからこそ赤壁の項目は荀彧伝から抹消されているのか…





魏書 荀彧伝 11(現代語訳)~曹操、鄴を陥落させ冀州牧へ!九州設置は時期尚早。曹家荀家親戚に|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 11(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪





こんにちは!三国志アナリストの橘花みいく(たちばなみいく)です。

この記事は、

●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
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三国志の人物の中でも一二を争うくらい謎が多い、我が最愛の荀彧様についてまとめました。曹操のお気に入りで常VIP待遇なのになぜ不仲説?
正史の現代語訳と私みいくの注釈つきで、演義では描かれない荀彧様の横顔にうっとりしながら素顔にしっぽり密着したいと思います。続けて読むと、きっとあなたも荀彧様の虜に…❤︎
では紐解いていきましょう




魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

曹操、鄴を陥落させ冀州牧へ!

九州設置はまだ早い、旧都・洛陽を修復し人々に真意を伝え国家を安定させましょう




建安9年(204年)荀彧41歳の時、曹操は鄴を陥落させて冀州牧となった。あるものが曹操にこう進言した。「古の制度を真似て九州を復活させてはいかかがでしょう。冀州の領土は増え天下を従えることができるでしょう。」
曹操はこの策を受け入れた。しかし荀彧は反対した。


「なりません、このようなことをしたら冀州は(まだ手に入っていない、実効支配の)河東(かとう)、馮翊( ひょうよく)、扶風(ふふう)、西河(せいか)さらに幽州、并州のあたりまで勢力をのばさねばならず、(完全なる支配下に置くには)多くの土地を奪わなくてはならないでしょう。



先日、曹公は袁紹を破り審配を捕らえました。
国中が震え上がり、人々は自分の土地や兵隊を守り通せるかかと恐れております。今その土地を奪い冀州に併呑させてしまうと動揺がおきます。



しかも今関中の諸将に対し 関所(函谷関、武関)を閉ざしておくように勧めているものが多いと言います。次は自分たちの領地が狙われてると思っているのでしょう。



いったん状況が変われば、我々に大人しくしたがっている連中も怯えて反抗してくるかもしれません。そうなれば袁尚は死線を逃れ、袁譚は二心を抱き、 劉表は長江、漢水の間にのさばり続け、天下は不安定なままです。


曹公まずは急ぎ兵を率いて河北を平らげ、そのあとに旧都・洛陽を修復しましょう。そして南の荊州の劉表に使いを出し、年貢を収めていないことを追求してください。
そうすれば天下の人々は曹公の 真意を知り、次第に安定してくるでしょう。



天下が大いに定まったあとに、古代の制度である九州設置を考えましょう。それが国家を永続させるやり方です。」


曹操は、九州の設置を取りやめた。



曹操は自分の娘を荀彧の長子・ 荀惲(じゅんうん)にめあわせた
この家系はイケメンの多い家系なのかな。荀悦もイケメンだったそうな




曹操は自分の娘を荀彧の長子・ 荀惲(じゅんうん)にめあわせた。のちに安陽公主と呼ばれた女性である。
荀彧と荀攸は揃って高官だったが、謙虚で慎ましい生活をしていた。 禄(給料)や下賜品は一族や知人にばら撒き、家に 余財を蓄えなかった。



建安12年(207年)、荀彧44歳の時、荀彧は 領邑千戸の加増を受け、合計二千戸となった。


裴松之の注に曰く、侍中の陳羣は孔融とともに汝南、潁川の人物について論じ合ったことがある。陳羣は荀一族についてこう述べている。(「荀氏家伝」より)


「荀彧、荀攸、荀衍(じゅんえん)、荀諶(じゅんしん)、荀悦は当世に並ぶ者がない。」


※荀衍は荀彧の一番上の兄。 監軍校尉として 鄴を守備した。軍人として功績をあげ列侯に封ぜられた
※荀諶は弟。袁紹のところから転職してきたのか
※荀悦は荀彧のいとこのお兄ちゃん。 秘書監侍中





みいく謂えらく、荀悦もイケメンだったそうな。(後漢書だったかな)
この家系はイケメンの多い家系なのかな。ただ他の兄弟親戚には外見上の特徴が書き残されていないのでフツーだったんでしょうw。荀彧と荀悦をつなぐものってなんだろう?
母方が美人の家系なのか。荀彧の母と荀悦の母が姉妹だったとか。荀悦は文学者で「漢紀」を著わしたという。私が子供の頃持っていた広辞苑には、荀彧をさし置き荀悦の名前が出ていたので、そんなすごい人なのかーって思った記憶はある


記録で見る限り、長兄、次兄、荀彧、弟、4人兄弟のようだが(姉妹の存在は不明。書いてあるものに出会ったことがない)、次兄どこいった?
こんだけ有名な兄弟で 事績はおろか名前すら見たことないって一体…不良なら不良でそういう記述があってもいいのにな。もしくは  早逝?
魏の時代になってからの話。荀彧の息子たちはわずか30代で亡くなっていることが多いんだけど、政敵からの刺客でなければ遺伝的な何か?またはワーカホリック気味の父親荀彧を見て育ったための生活習慣病か?次兄との関係性もきになるところ。



九州設置のくだり。実際にその土地を手に入れたわけでもないのに、勝手に自分の国だから改名しちゃいまショウ☆っていったの誰やねん。まあ年貢的なものは納めさせたり従属させていたかもしれないけど。
いかにも手柄欲しさというか、ねえいいアイディアでしょ、うまいこといきましたら言い出しっぺのあっしにもお願いしますよ、色々と♪
…っていうのがスケスケに見えるんですが大丈夫?
そんなポンコツを一刀両断した荀彧だけども、世の中そんな聞き分けのいい善人だけじゃないよ…報復とか怖くなかったのかなとこっちが心配になるわ。


それも全て曹操のためであり、息子と同じくらいの年頃で天涯孤独になってしまった献帝のためかと思うと。
挙句に没後もずっと不幸の人扱いでは、孤独すぎるなあ。




献帝は荀彧、荀悦、孔融の3人を講師にして

色々お勉強していた
太子の時も荀氏からの人選になったんでしょう





荀衍の子、荀紹は太僕(行幸長官)になり、孫の荀融は洛陽の令(長官)になっただけでなく、「易経」「老子」などの研究にも業績を残した。
荀諶の子荀閎(じゅんこう)太子文学掾(たいしぶんがくえん)(皇太子の文書担当補佐)となり、その従孫の荀煇(じゅんき)太子中庶子(皇太子の侍従)となり、音律制定に業績を残し「易集解」を著わした。


みいく謂えらく、太子とは曹叡のことかなと思ったけど献帝にも一人息子がいたらしいのでそちらでしょう。献帝は荀彧、荀悦、孔融の3人を講師にして色々お勉強していたそうなので、太子の時も荀氏からの人選になったんでしょう。孔融は荀一族、というか荀彧をかなり目の敵にしていたようだけど、このパワーバランスでは気持ちはわからなくない。我こそ名門と思ってイラついてる孔融の姿が想像つくな…




























2020年8月10日月曜日

魏書 荀彧伝 10(現代語訳)~荀彧万歳亭侯に!自分の功績を讃える上奏文は献帝に通さなかった荀彧|橘花美郁三国志☆




魏書 荀彧伝 10(現代語訳)~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪




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魏書 荀彧荀攸賈詡列伝  続き

203年、荀彧万歳亭侯に



建安8年(203年)荀彧40歳の時、曹操は荀彧の前後の功績を記録し、上奏し万歳亭侯に封じた。

裴松之の注に曰く、曹操が献帝に上奏した文章が残っている。


「慮は功のはじめ、謀は賞の本(もと)たり」と申します。戦場での功績は戦略上の功績には及びません。多くの戦いに参加し武勲をあげることは、国政の参画には及びません。
侍中・尚書令の荀彧は若い頃から 徳を積み過ちを犯さず、この乱れた世に 忠誠を心がけ世の安定に力を尽くしてまいりました。私は義兵をあげて以来、この荀彧と力を合わせてまいりました。彼の意見、計画は常に成果をあげてまいりました。私が実績をあげることができたのは荀彧の働きによるものです。

特に陛下が 許にお移りになりここを都とするにあたり、 荀彧はお側にて 忠勤に励み、薄氷を踏むような注意深さで仕事をこなしてまいりました。

天下が安定したのはまさに荀彧の功績です。彼に高い爵位を与え、最大の功労者であることを明らかにして頂きたく存じます。」

荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった。そこで曹操は荀彧に手紙を送った。



「君と行動をともにして以来、朝廷で君がしてくれた補佐、人材の推薦、進言してくれた内容、どれほど大きなものであったか。そもそも功績とは戦場だけで立てるとは限らない
。どうか辞退しないでほしい。」

ようやく荀彧は爵位を受けた。





荀彧は自分は戦場で功績をあげていないとして、爵位を受け取ることを 固辞してこの上奏文を献帝に通さなかった←功績は戦場だけやと因縁つけてきた武将誰やねん???




みいく謂えらく、こんなに荀彧を意固地にさせるほど、因縁つけてきた武将誰やねん!
あいつか、きっとあのやろうだw


曹操軍団全員が全員仲良いわけないもんな。荀彧が身内以外では最古参の人間。
成績を張り合ったり、あいつあんまり動いてないけど給料高くてずるいなとか。先に出世されてたまるかとか。そんなのに一個一個神経イライラさせられつつ、戦乱を収束させ文学の方にシフトしていった功労者なのに。



おまけに自分のやってきたことを公表すればいいのに隠す意味。なんかの古典で「そんな功績をわざと隠すようなことをしたら、誰も君の手柄だと気づかないぞ。」「知るか」みたいな問答があるんだけど。(荀子だったか韓非子だったか…)何を目指してるんだ荀彧様よ……


しかも万歳亭侯って何?なんか ださ…否、分かりづらく感じる。
優勝バンザーイ、みたいな感じ?

亭侯に封じられるというのは、功績により土地をもらい そこのオーナーになること。土地を管理してくれる雇われ店長(相)を置く。入ってくる租税も自分のものになる。基本給以外に不労所得として収入が得られる仕組み。


よく●●亭侯というのが出てきて、大概は地名+亭侯というパターンだけども、中には名誉職というか地名以外のオメデタイ単語をくっつけるときもあるようだ。

にしてもこの時点で、「千石」は功労者にしては少ないよな。
















【わかりみ】荀彧ってざっくり言うとどんな人?何した人なの?一人の男の決意と熱意の賜物~映画、漫画、アニメで基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたいときは正史がおすすめ♪|橘花美郁三国志☆

こんにちは!三国志ライター橘花みいくです! この記事は、 ●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい ●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな  ●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい そんな方におすすめで...