三国志ライターの橘花みいくです!
橘花美郁について
ファン歴は30年ほど
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆
ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1
https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html
(旧サイトです)
1年あっという間ですねー😀
世の中はクリスマスイヴということですが
よく言われるんですが、
荀彧はっけきょく漢の人なの?魏(曹操)の人なの?
使える基準は自分という人材をうまく使ってくれること
だから袁紹じゃなかった
漢王朝助けるために曹操に協力したんだったら
漢の人じゃん!
献帝をダシに使って曹操のために貢献したから
魏の人じゃん!
私は
そのどちらでもないと思ってます
自分の死後1800年後の日本で
働き方革命があって副業当たり前じゃん!の時代が来るのをとっくにご存知だったのです
さすがの先見の明♪
漢から侍中職、見習い尚書令職として給料をもらい、曹操の方からも幕僚長として給料もらい、
地元・潁川郡の清流派組合から相談役として給料もらい、
「神君」と賞賛されたおじいさんの遺産(潁川まんじゅうの売り上げ、権利収入)もらい、
都で漢詩連盟の顧問として給料もらい、
ファッションリーダーとしてあちこちの雑誌で読モして給料もらい、、、
(そりゃ使い切れずに親戚に配る訳だわ、、)
若干、漢からの給料が多いかも知れないけど。
皇帝のそばで侍中業務してても、曹操への献策は考えてるし
曹操と酒を飲んでいても、古代の礼や作法どうやってのこそうかなあと考えてる
どちらでもないし、どちらでもある。
荀彧は傘下に入るというよりも
共同経営者の感覚で曹操に近づいていたんじゃないか
なんでこんな言い方するかというと
私は荀彧様と他の武将とバックボーンがちょっとちがうんじゃないかと考えているからです
荀彧様の一族は潁川清流派の中でもトップと目される一族。清流派の中での発言力や影響力が強かった。だから同じ清流派でも汝南清流派の孔融にはバチバチ噛み付かれていたんですけどね
荀彧様が曹操の元に行ったのも自分という人材をうまく使ってくれそうだから
傘下に入るというよりも
共同経営者の感覚で曹操に近づいていたんじゃないかと思っています
きっと袁紹の時はここら辺が折り合わず
オメーの部下じゃねえからと立ち去ったんだと思いますw
泣かされて毒飲んで自決してしまおうなんて
ガラじゃないw優等生だけどちょっとハングリーな荀彧という人
私の荀彧様のイメージは優等生だけどちょっと
気性の荒いような、ハングリーな面がありますね
泣かされて毒飲んで自決してしまおうなんて
ガラじゃないw
若い頃から董卓ぶっ飛ばしたり
曹操自体も仕事してくれたら別になんでもいいよってタイプなので、お互い居心地良かったんでしょう
荀彧様は「曹操配下の軍師」とラベリングされてますが、本人は配下とは思ってなかったかもしれない
正史にも「曹操も荀彧に対しては臣下としてでなく師匠として接していた」という記述がありますね
…ただ、クレイジーだけどまっすぐな瞳を持った曹操にほれてついてきたくらいなもので
※ここまでお読みいただきありがとうございます