【みいくの注釈】人となりは家柄や官職でははかれない~幼少期の荀彧に影響を与えた義理のお父様・大宦官 唐衡の話~|橘花美郁三国志☆
この記事は、●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな ●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい
そんな方におすすめです。そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。
橘花美郁について
ファン歴は30年ほど
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆
ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1
https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html
(旧サイトです)
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清流派の荀彧様が、宦官家の曹操に仕えるってどうなの?
荀彧様といえば、曹操を支え天下取りに貢献した謀臣として描かれています。
実際曹家は宦官の家の者、
宦官に真っ向対決していたのが清流派知識人と呼ばれる人たちなのですが、
宦官に真っ向対決していたのが清流派知識人と呼ばれる人たちなのですが、
清流派の荀彧様が、宦官家の者に支えるって当時としたら異常じゃないですか?
黄巾の乱の少し前、
李庸ら清流派知識人の多くが粛清され、当然荀彧様の身内にも当然被害をこうむったはずなのに…
李庸ら清流派知識人の多くが粛清され、当然荀彧様の身内にも当然被害をこうむったはずなのに…
私は最初は異常に感じていました。
昔なんてとくに身分上の定めが厳しかった時代であり、回りは反対しなかったのか?
その秘密は荀彧様の幼少期にあるようです
どんなに粛清されても
自分のビジョンをつらぬける奴がかっこいいとそこで目覚められたんでしょう、きっとw
それがまた曹操との出会いに繋がっていくんですね
その秘密は荀彧様の幼少期にあるようです
『人となりは家柄や官職でははかれない』
幼少期の荀彧に影響を与えた義理のお父様
・大宦官 唐衡の話
その前に奥様の話を。
荀彧様の奥様は唐氏と言い、朝廷でバリバリ力を持っていた唐衡の娘です。
この頃は夫婦別姓が基本で、女性は結婚しても名字が変わらず旧姓で呼ばれていました
宦官って子供作れないよね?って気づいた方もいるでしょう
当時は家督を継ぐため、養子縁組していたみたいです。
あれだけ力を持てたらその代で終わらせたくないですもんね。
宦官たちの養子縁組リストには意外にも清流派知識人の子弟も多かったみたいです。
出典はなんかの重めの歴史本の一節なんですが、清流派知識人の多くは第1次、第2次党錮の禁で殺されたり政治の中枢からリストラされます。いきなり無職で生活に困ったけど、今までみたいな官職には体制が変わるまで就けない。
地方に移住して職を求めるか、中央で生きるなら権力者の家に養子縁組するか。
▼過去の記事こんなのあります
生き残るためにその中に宦官家を選ぶのもまんざらでもないという流れになってきていたんだと思います。
実際、宦官でも人格者、いい人いるからね。紙を発明したとされる蔡倫も宦官だし。
その唐衡は荀彧の祖父、荀淑とも親しかったようです
(ネットで検索しても思った物が全然ヒットしないので、おそらく歴史読本かなんかのコラムの一つだったか、、、)
潁川の地元のスーパー名士のじいちゃんとツーツーの宦官!
唐衡自体は宦官の割には話せる人で、(言い方よw)
憧れのおじいちゃんのこともよく話してくれるし、気さくだし
清流派の人間の中には宦官てだけでムリ、こいつらの世話になるなら死にますっていうような人達もいたけど、清流派同士も派閥もあるし(潁川清流派vs汝南清流派のような)
スカして知識人気取ってたってお前らの方がカスやんけ!って思いもあったと思います
実際の『人となりは家柄や官職でははかれない』というのを、荀彧様はここで学ばれたんだと思いますw
荀彧様、大人たちに勝手に許嫁にされてしまう
まだ二歳だというのにw
そこの同い年くらいの娘と荀彧様、大人たちに勝手に許嫁にされてしまう
まだ二歳だというのにw でも現代でも親戚同士が集まるとこんな話しませんか?
私も小さい頃、親戚の同い年の男のとくっつけられたことがあったっけw
私にはシビアな政略結婚といより、のんきな田舎の親戚の戯言の延長にくらいしか思ってないんですけどね
ちなみに奥様の親戚のおっちゃんの唐珍は、司空まで務めたというから
ひとかどの人物でしょう。幼少期はリアル神童と言われていたのですが、官職はお金で買っちゃったパターンであかん方の宦官でしたねw
荀彧様と唐氏はお坊ちゃんとお嬢どうしみたいな感じなのかな?
ちなみに唐珍と荀爽も、司空職ニアミスですね!
ここら辺でも接点があったんじゃないかなと思っています。
荀爽が移動中にしたっぱから司空に飛び級で上がったエピソードは有名ですが、それが黄巾の乱(184年)直後なので、唐珍の司空就任が173年から考えると任期が近いので推薦とか唐珍サイドからのプッシュもあったんじゃないかと
多感な時期にキタナイ大人達をたくさんみすぎたからこそ
荀彧様のあの徹底した人生哲学が生まれたんだと思いますw
お金と人となりは違うし、官職と人となりも違う
人格者でもお金に汚い奴もいるし
その中で自分でどうなりたいか、どんな人に仕えたいか
はっきりしたビジョンが出来上がっていたんだと思いますどんなに粛清されても
自分のビジョンをつらぬける奴がかっこいいとそこで目覚められたんでしょう、きっとw
それがまた曹操との出会いに繋がっていくんですね