2014年12月29日月曜日

【みいくの注釈】荀彧様が美食家だったの知ってる?不機嫌の理由は料理が冷めていたから|橘花美郁三国志☆




【みいくの注釈】荀彧様が美食家だったの知ってる?不機嫌の理由は料理が冷めていたから|橘花美郁三国志☆





こんにちは!三国志ライター橘花みいくです!


この記事は、
●映画、アニメ、漫画で基本は押さえた!もっと知識を深めたい、知りたい
●原典読みたいけど漢文の知識ゼロでもだいじょうぶかな 
●日本語でも難しいのはイヤ、空き時間にサクッと読めるライトなやつが読みたい

そんな方におすすめです。
そんなエピソードあったんや~そういう解釈もあるんや~と楽しんでもらえたら幸いです。


橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆



ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1

https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html

(旧サイトです)


直近の活動はこちらご覧ください
潁上華電視台DAY2  



【みいくの注釈】荀彧様が美食家だったの知ってる?

荀彧様が美食家だったというエピソードはご存知ですか?




あたたかい料理が冷めていたら、



荀彧 「俺これやなんだけど」




めちゃめちゃ不機嫌になりいっさい手を付けようとしなかった。





曹操のもとにいってすぐの頃は、司馬として従軍していました。
当然野外で食事をすることもあったのですが、
兵糧においしさを求めることが間違ってる。


兵糧がかさばったら行軍の邪魔になるだけだし
道々の農村で食べ物を譲ってもらうにしても
限界がありますよね。


曹操軍に関しては略奪行為は少なかったようです。
さすがの曹操軍☆軍律は軍律です
俺たち官軍やぞ!農民痛めつけとったらあかんぞ!ボンクラ!って裏で悪い兵士をしばいてる曹操の姿があったとかなかったとかw





戦乱の世になんということでしょう
定時で帰らせて!おウチでご飯食べる!




それはさておき
ある日用意された兵糧が口に合わず、荀彧が辞めますといった


戦略はなんぼでもたてられますけど
定時で帰らせて!おウチでご飯食べる!


戦乱の世になんということでしょう
働き方革命をゴリゴリ主張


今まで身内中心で経営してた会社に
やっとこさエース級の新人が入ってきたのです



曹操は逃げられたら困ると思い、それなら後方でしっかり援護してくれといったん城に帰らせたそう。以後荀彧が後方を守るという形が定着した。
 この乱世に何をぬるいことをなじる武官もいたが、太祖は俺が連れてきたんだからかまうなと一喝して食事の際は荀彧の好きなようにさせた。





曹操荀彧に問う「誰か能く卿に代わりて、我がために謀る者あらんや?」




荀彧様の働きで、規模も大きくなり部隊も増えていったのはいいけれど
じゃあ前線で曹操以外に誰が指揮をとるか
人材が足りない



荀彧が前線を好まないので
太祖はため息まじりに聞いた




曹操  「じゃあさお前以外に
(外でおとなしく兵糧を食べてくれて)
謀を立てられる者いてんの?
(いやいないでしょ/反語)」




荀彧 (断れなそうなやつで、後輩で、
親戚で自分の言うこと聞くやつ呼ぼ…)




荀彧 「荀攸と鐘繇です!!」

(きっぱり)




…その他、知り合いの名前をかたっぱしから言っていたら予想以上に皆優秀だったということで、太祖もご満悦。
芋づる式に、潁川界隈の英才が連行されていった




はっきりした縦社会

荀彧パイセンが来いと言ったら来るのである



ハイ!これで前線の人員確保❤️



これであたたかいおウチご飯は確保された…♪
ちゃっかりしてる荀彧様、素敵だ♪





こんな倭国のレア珍味をゲットできるのは曹操だから
もうちょっと食べたいんだけど…この箱洗って返す時言おう!(出前の皿かw)





 後に荀彧の病気が重くなり寿春にとどまった際も、太祖は自分も1回した食べたことのないような海の向こうの倭国の珍味を送ってあげてはげました。




 病床でもぺろりとたいらげてとても幸せそうな顔をしていたという。




こんな倭国のレア珍味をゲットできるのは曹操だから。
もうちょっと食べたいんだけど、、、まだあるかな?倭国だから船便で何日かかるだろう
またこの箱洗って返す時言おう!
(出前の皿かw)




ただ体調はすぐれぬまま、
空箱を返すまもなく荀彧は息を引き取った




と言う説があるとかないとか。