橘花美郁について
ファン歴は30年ほど
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
私が「みいく流解釈」でわかりやすく解説します☆
ディスコグラフィ-みいく-|潁上華電視台DAY1
https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/descography-miiku.html
(旧サイトです)
荀彧ってざっくり言うとどんな人?何した人なの?一人の男の決意と熱意の賜物
皆さんによく聞かれるのが
ニコ競食の計とかクコ呑狼の計とか
あれ演義じゃん!
正史ではでてこない文言なのです
以前の記事で書いたように
前線を好まなかった荀彧様
なので派手な個人の戦功はあまりないんだけど
政治力が彼の真骨頂なので
そこは言わないでくださいw
荀彧様は司馬(参謀)で採用されたけど
しれっとキャリアチェンジ
適性は政治家なんです
「木を植えた男」との共通点
彼はこの荒れた大地を一人で甦らそうと思ったという…
何十年という歳月をかけて再生させた森、そして文学
ジャン・ジオノ「木を植えた男」とういう短編小説です。タイトル聞いたことあるなーという方も多いんじゃないでしょうか
フランス、プロヴァンス地方を舞台にしたフィクション。
草木も生えない荒野をあてもなく旅していた「私」がひとり黙々と木を植えていく寡黙な初老の男性と出会う。
その初老の男性は昔農園を営んでいて、植樹の知識がある人だった。家族を亡くし、することもないのでこの荒れた大地を一人で甦らそうと思ったという。ナラやシラカバやら…何十年という歳月をかけて緑を植え続ける。
木々はゆっくり成長するものなので
周囲の人は初老の老人一人の力と思っていない。
初めからそこに森があったかのように思ってる若者もいるくらいだった。
いつしか森は広大な面積に成長していた。
森が再生し荒野に水が戻っていった。
若い入植者たちが現れ、新しく暮らしが生まれていく。
彼らはある一人の男がこの森を再生させたことも知らない、そんな存在も知らない…
縁の下の力持ち☆荀彧様の功績がわかりにくすぎる!戦乱の真っ只中で文学や文化の方に力を入れた
要因ですねw
当時戦乱の真っ只中で、なにをのんきなことをとバッシングもあったろうけど、未来を作る動きをとっていた荀彧様。
なのでメインになる戦にはほとんど顔出さなくなります
上奏文にもあるけど、戦乱でばらばらになった古文書を整理したり作法とかを復活させたり。
この下地がなければ文化面の復興なんてずっとずっとあとのことになっていたはず。
中国文学史の中でもわりとガチな転換期
「三曹」曹操とその二人の息子、曹丕、曹植かつぎだしたのは荀彧
曹操ファンの方であれば
「三曹」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。曹操とその二人の息子、曹丕、曹植が詩作においておいて秀でていたので三人まとめてそのような言い方をするのですが、この「三曹」実質プロデュースしてるのが荀彧様なのです。
親分とそのご子息がやるんだからもっと文学や教育に力入れようぜという政府の大方針転換☆
それまで戦乱ばかりで
文学が熟成する土台がなかったので
中国史の中でもわりとガチな転換期と言っていいのです
自分の仕事をしやすくするため
曹ちゃん詩のセンスあるからやりなよ〜と
そそのかしたのかもしれないですがw
たくさんの文学者、詩人、書道家…が誕生していきます
極端にいったら荀彧様がいなければ、杜甫や李白も存在しえなかったかもしれない。
詩人はいたかもしれないけどもっと活躍が遅くなってたかもしれないですよね
荀彧がいなければ、杜甫や李白も存在しえなかったかもしれない。
焼野原になった故郷・潁川郡を許都として復興させながら何を願ったんだろう
董卓の乱で故郷の潁川郡は焼野原になりました
若き日の荀彧様が、
友達の韓馥のところに向かう旅すがら、
荒れ果てた大地を見て何を思ったか……